今日はわしのホーム、上早の神社に来たぞ。神社のことについて少し勉強してみようかの。
上早の神社には避雷針がついていて、雷から村を守ってくれてるって聞いたことがある。
1575年(天正3年)創立
神社の意味
村にある神社というのは、春には農作物の豊作を祈願し、秋には稔りに感謝するお祭りが行われきたんじゃよ。
そうじゃ。今のようになんでも店で買える時代ではなかったからの、自分たちで育てた米ができるかどうかが、とても重要な時代じゃったんじゃ。
普通にご飯が食べられることが当たり前になっていて、それを自然の神様に感謝することを忘れてしまってるのかもしれないね。
建築様式について
上早の神社の特徴は屋根のデザインじゃ。千木と鰹木が用いられてることじゃな。千木というのは角のように交差してる部分、鰹木は屋根の上に平行に並んでいる部分のことじゃ。
今ある社殿は昭和50年に改築されたんじゃ。改築前の写真も見てると、同じように千木と鰹木が使われているのがわかるの。この仕様は伝統的にずっと受け継がれてきたものじゃな。
上早神社の改築時の写真を見てみようかの。神社は「木組み」といって釘や金物(ちょうつがい、掛け金など)を使わず、木材自体に切り込みを入れて、パズルのようにはめ合わせて建てられているんじゃよ。
へー、すごい!ミリ単位でピッタリ噛み合うように加工するんだね。すごい技術。
参考資料:神明宮御造営記念
現在の社殿は昭和50年時の改築(昭和50年2月16日竣工)のものです。
神明宮と諏訪神社の違い
早通地区の神社には神明宮と諏訪神社の2種類の神社があると思うけど、それはどう違うの?
良いところに気がついたの。神明宮は三重県の伊勢神宮の分社、諏訪神社は長野県の諏訪大社からの分社なんじゃ。分社というのは、大元の神社から離れた場所にも、神様にご加護をいただくという意味合いなんじゃな。
私たちを育む万物へ、そして働く人たちへの感謝の気持ちを表してきました。また、古くから伝わる伝統行事や文化の中には、神事に由来するものがたくさん伝えられています。
いわば神をまつることは、日本らしい心の表現方法の一つであり、瑞穂の国の原点としてとても大切なものだと感じます。
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