むかしむかし、鵜ノ子潟に年老いた蛇が住んでいた。その蛇は胴のまわりがどれくらいもあったか、通った後の跡が4斗樽を転がしたような大きさだったそうだ。ある日、若い夫婦が秋大根を収穫して、沼垂の市場に売りに行く途中、稲船に乗って栗の木川を通り、鵜ノ子潟にやってきました。すると、急に空が曇り、大きな雨粒が落ちてきました。夫婦は驚き、身体が震え出しました。ふと見ると、巨大なはさぎのようなものが倒れていましたが、よく見るとそれは大蛇の胴体でした。
夫婦はびっくりして、ぞっとしながらも、大蛇に気づかれないように静かに船をこいで家に帰りました。家に着くと、すぐに寝てしまいました。しかし、その後夫婦は大蛇の毒気にやられたのか、亡くなってしまいました。
この出来事以来、村の人々はその大蛇を神として祀り、和多都美権現と呼んで神社を建ててお祭りを行うようになりました。
しかし、この権現様は神として祀られることで、なにもかもが制約され、自由に行動することができませんでした。そこで権現様は考えました。こんな狭い場所にずっといるわけにはいかない。もっと広い世界を見つけることができないかと思い、会津にある猪苗代湖という大きな湖のことを知りました。権現様は、その湖の主になって、老後をゆったりと過ごすことを決意し、一人旅に出ました。
猪苗代湖に着くと、そこでは大きな赤ドジョウが主を務め、大威張りしていました。そのドジョウはあまりにも大きくて、権現様も勝つ自信がありませんでした。そこで、しばらくは時を待つことにしました。権現様は宿屋の下男に姿を変え、真面目に働き始めました。
ある日、宿屋の主人が下男を探しましたが見当りません。部屋にいるだろうと思い、そっと中をのぞいてみると、びっくり仰天。大蛇がトグロを巻いて眠っているではありませんか。権現様は正体がばれてしまったので、ここにはもういられないと思いました。
翌朝、赤ドジョウとの勝負に挑むために、主人の使っていた短刀を無断で借りることにしました。しかし、そのとき主人に見つかってしまいました。正直に事情を話したところ、主人は快く短刀を貸してくれました。権現様は勇気を出して、短刀を口にくわえて、霧が立ちこめる湖に深く潜っていきました。めでたく、ドジョウを征服し、猪苗代湖の主になったと伝えられています。
引用文献:亀田町史より
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