潟はどうやってできたの?
早通は信濃川や阿賀野川が運んできた土砂が堆積してできた平野にあります。これに海岸線に形成された砂丘で水がさえぎられ、逃げ場を失った水が溜まり、内陸側に湿原や潟湖が多く形成されました。
潟が与えてくれた恩恵
- 淡水魚や貝類などの漁場(タンパク源の確保)
- 大雨の時の水の逃げ場所
- 舟で移動するときの交通の要所
今日はお主たちにわしの先輩を紹介するぞ。その名も潟仙人さまじゃ。わしは早通の担当じゃが、潟仙人さまは新潟全体の水を統治するすごいお方なんじゃよ。
へー、じいちゃんにもさらに先輩がいるんだね。あれ、さっきから水辺が怪しく光ってる、、と思ったらなんか泡立ってきたよ!
ハロー、潟仙人さんですね!早速ですが色々と教えてください!
昔は早通の周辺にも潟湖がたくさんあったんですよね?
ザッツライトや!
新潟はほんまに県名どおりで、潟とええ感じにラブラブやねん。今も残ってる鳥屋野潟や福島潟、佐潟なんかが有名やんか。早通のあたりももう潟だらけやねんで。
この辺りの潟をざっと挙げるだけやと、そえ潟、へら潟、尾長潟、丸潟、長潟、面潟、鍋潟、鵜ノ子潟、泥潟、ふくべ潟、浦通潟、上沼潟、川根潟、豆の葉潟、ほんでワシの頭やったらもう覚えられへんわ。この中から早通と関係ある潟をピックアップしようねん。
潟湖はどうやってできたのか
見ての通り、江戸時代の中頃までは阿賀野川と信濃川の河口は1つに繋がっていたんじゃ。そんで河口の両脇は砂丘で閉じられてるのがわかるじゃろ。水の行き場がなくて潟湖がどんどん生まれていったんや。
本当だ!すごい。日本の2つの大河が1ヶ所で交わってるね。新潟って名前がここからきてるのが、ようやくわかった気がするよ。でもこの風景、すごく美しかっただろうな。
潟の役割と自然の恵み
潟には水の逃げ場所としての大切な役割があったんじゃ。親松排水機場ができるまでは、大雨が降った時に水が一時的に貯まる場所が必要じゃろ。潟がその水の逃げ場所として機能することで、水害が最小限で抑えられていたんじゃな。
もう1つは、タンパク源の確保じゃ。淡水魚や貝は
川根潟
私のお婆さんは、川根潟は水がとても綺麗で遠浅だったって。でも夕暮れにこの潟の前を歩くと、不気味な雰囲気を感じたって言ってたよ。
面潟
丸潟
駒首潟(五合の穴)
駒首潟はちょうど今のイオン南の辺りにおったんや。また別名で「五合の穴」とか、ゴボウの穴って呼ばれとることもあってん。ゴボウぬいたみたいに、深さがあるからやろな。ここからさらに下流は駒繋潟と呼ばれていたんじゃ。
お父さんが子供の頃、ここにあった大きな土管に秘密基地を作ったって言ってた。雷魚が泳いでて、何よりも亀がすごくたくさんいた場所なんだって。
吸い込まれそうな神秘的な雰囲気があった潟なんじゃ。物静かな晩には竜灯といって、水中から謎の光が連なって現れる怪奇現象も度々見られたと言われとるんや。
鵜ノ子潟
鍋潟
そ、そういえば、潟仙人さんはなぜ関西弁なの?
わしは昔、上司の水分神の命令で琵琶湖に飛ばされとったんや。そんときの関西弁がね、まだね、なかなか抜けへんねん。仙人界にも、いろいろと事情があるんやで。ほな、おおきに〜。
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